ブログ 〜おしゃべりポケット〜

2023年もよろしくお願いします

年初に鑑賞した角川武蔵野ミュージアムの「ファン・ゴッホ〜僕には世界がこう見える〜」

光陰矢の如し。

1年以上も更新を放置して大変失礼しました。

 

コロナ禍で世の「普通」が激変した中、

おかげさまで生き延びています。

ありがとうございます。

 

昨年はお仕事をかなり抑えていましたが、

さまざまなチャレンジをしながら稼働できていました。

 

そして西暦2023年、和暦で令和5年となりました。

新しい手帳に書き込んでいた際、

和暦が一瞬わからなくなったほど、

令和に入ってあっという間でした。

 

「WITH コロナ」などとカタカナ英語で号令されて、

不快な環境の変化は待ってくれるどころか先行き不透明。

さらに昨年からの海外の戦火の影響は不穏な影を落としたままで、

昨年末のタモリは「新しい戦前」と予言していました。

 

そんな受け入れ難い変化も受け入れて今年の目標を定めました。

 

「整える」

心身の声を聴いてバランスを整える。

環境を整え、生活リズムも都度整えていく。

 

自分のいまの最大値を発揮できるよう、

ピアノを調律するように、

都度都度の自分を整えて生きていきたい。

 

一昨年から新しい分野にも挑戦し始めました。

「新しい景色を見る」ためにも

「快眠快食快便」は最低必要条件です。

 

心と身体を丁寧にみつめ直しながら、

これからも皆様のお役に立てることを考え、

楽しく過ごして生きたいと思っています。

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

気づけば令和3年?

「あけましておめでとうございます」のご挨拶をアップしそびれ、令和3年も3ヶ月が過ぎようとしています。

近所の幼稚園の桜もすでに満開になりました。

もう、あっという間に明日から新年度。早い。早すぎます。

 

昨年もさまざまなお仕事をご依頼いただきました。

もちろん、憎きコロナウイルスの影響を受けないわけにはいきませんでしたが。

おかげさまで、ご新規様も定期のお客様にも喜んでいただけるお仕事がなんとかできたのではないかと自負しています。

 

それもこれも一人でできることではありませんでしたし、昨年は特にコロナ禍の下、辛抱強くプロジェクトを推進くださった関係者の皆様へ心から深く感謝しています。

本当にありがとうございました。

 

そうこうしているうちに、世界中がコロナウイルスへの恐怖に慄き始めて一年が経ちました。

 

世間が「これは普通の病気ではない」と感じ始めたのは、志村けんさんの突然の訃報だったのではないかと思います。

そして卒業式や入学式などの人生で最も大切といえる行事がことごとくできなくなった春、爽やかな笑顔が素敵だった女優岡江久美子さんの訃報にも大きなショックを受けた人は多かったのではないでしょうか。

ひとの一生はかくも短く儚い。

 

今年、ようやくワクチンが出回り始めたとはいえ、未知の恐怖との闘いが今年も続くのは間違いなく、あと数年は手指の消毒に神経をすり減らし、マスクを手放せない毎日が続くと誰もが覚悟していると思います。

 

私がわざわざ書くまでもなく、昨年はいまこの時代を共に生きる人々にとって忘れられない一年となり、人生を考える一年にもなりました。

 

私にとって、何が一番大切なことなのか、何が必要不可欠なことなのか、誰がなくてはならない存在なのか。

 

私には家族や友人が何より大切な存在であり、これまで以上にかけがえのない毎日をできるかぎり悔いのないよう生き切りたいと思っています。

 

本当に遅まきながらのご挨拶ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

このブログやサイトを目にした皆様も、無事にこの一年、大切な日々を過ごせるよう心から祈っています。

令和二年もよろしくお願いします!

あけましておめでとうございます。

令和二年の三ヶ日は穏やかな晴天に恵まれました。

皆様も無事にこの一年を過ごせるよう祈っています。

 

SNSが定着した最近、

facebookの仕様でいいなと思えるのは、

過去の同月同日、自分が何をしていたのかをFBが教えてくれることです。

 

4年前の一月四日、このブログに私は井上ひさし氏の言葉を引用し、

さらに「-2kgの減量を定着させ、筋力をつける」と目標を掲げていました。

 

気づけば体調管理の前半部分を達成し、後半部分を気持ちだけ継続中です。

一昨年にはギックリ腰をしてしまい、

日を追うごとに体調管理は本当に大切だなと実感している年頃です。

 

念頭に際し、令和二年のブログ1回目にいま一度、

井上ひさし氏の言葉を書き留めて自分に喝を入れておきます。

 

 むずかしいことをやさしく、

 やさしいことをふかく、

 ふかいことをおもしろく、

 おもしろいことをまじめに、

 まじめなことをゆかいに、

 ゆかいなことをいっそうゆかいに。

 

たぶん書くことにおいて一生の目標になることも追記しておきます。

 

 一番大事なことは、自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章で書くということ。

 

今年も自分にできることを決めつけず、

さりとて足元を見誤らず驕らず何事にも邁進していければと思います。

 

ちょっとNHK的な気もしますが、本気と書いてマジです。

 

昨年はFBもブログもなかなか更新できずに終わりました。

今後は日々の記録的なことはFBに任せ、

ブログもできるかぎり書いていきたいです。

 

令和二年もどうぞよろしくお願いします!

令和元年もありがとうございました

今年もあと数時間。

令和元年のポケットプロを駆け足で振り返ります。

 

春先、地元の老舗メーカーからご依頼いただき、

HPにおける中途採用や企業紹介などについて執筆しました。

重厚長大なイメージで名を馳せた半世紀前から変革を重ね、

今やグローバルな事業展開で毎年右肩上がりの成長を続ける企業様です。

光栄な仕事でもありましたし、さらにはご好評いただき、

一地元民として本当に嬉しい仕事でした。

得てしてB to Bは難しい理屈をこねがちですが、

直球ストレートにクライアントの良き面をクローズアップできたと

自負します。

 

令和の新時代を迎えるや否や観光業界の仕事をご依頼いただきました。

上述とは似て非なる、B to Cの典型的な内容でしたが、

一つづつ世の中へ発信していくことは同じです。

より深く広く展開する仕事の面白さを噛み締められました。

 

秋には、地元のソウルフードを紹介する仕事をご依頼いただきました。

まさか自分が携わることなど考えてなかったというと嘘になりますが、

いつもどおりに励もうと思っていたら、

想定外の面白さに出会って自分自身が驚いています。

 

長年ご依頼いただいているクライアント様にも

「いつものように」と毎度ご依頼いただき感謝しかありません。

 

少しづつ小石を積み重ねていくように愚直に仕事をし続けていくと

見たことのなかった世界が開けるものなのだなぁと

思った一年でもありました。

 

プライベートでは、ラグビーWC観戦、平成中村座の観劇、

『シン・ゴジラ」の樋口真嗣監督の講演会参加など、

よくもこれだけ盛り沢山に楽しめたものだと思います。

機会があれば感想など書いてみたいです。

 

また、昨年の「ITパスポート試験」に続き、

今春受験した「情報セキュリティマネジメント試験」にも合格できました。

どこかしらで役立てたいものです。

 

さて来年は。

無理がきかない年齢にもなってきましたが、

慌てず騒がず邁進していきたいと思います。

 

おかげさまで無事に一年を終えることができました。

誠にありがとうございます。

皆々様にとってもよい年であれば幸いです。

どうぞよいお年をお迎えください。

残暑見舞い申し上げます

令和はじめのお盆は、大潮と超大型台風の襲来のため交通機関が麻痺しています。

朝から忙しないニュースを横目に、ここ半年間おざなりにしていたブログで近況報告します。

 

 

超がつく黄金週間中に時代を衣替えした2019年の前半は、「平成最後」と「令和初」が喧しい数ヶ月でしたね。

 

そんな春には、地元で古くから活躍されている中堅企業の依頼で、ユーザー向け広報のお手伝いができました。

慣れ親しんでいた名前とはいえ、グローバル企業として堅実に右肩上がりの経営を続けていることの尋常ではない内情を知り、大変光栄な仕事に携われたと感謝しつつ、いつも以上に熱が入ったことを白状します。

 

 

そうこうして時代が変わる直前、ひょんなことがきっかけで、地元ホテルの広報に携わるようになりました。

 

また改めて諸々ご案内します。

 

6月はじめには、北九州市がやんややんやと宣伝していた「高野山金剛峰寺襖絵完成記念 千住博展」に行けました。

 

今回の展覧会はくだんの完成記念とあり、襖絵の2種がいきなり惜しげもなく展示されていました。

襖絵が奉納される金剛峰寺の部屋の様子はミニチュアでわかるようになっており、高野山まで行かずして、疑似体験ができたわけです。

入り口に荒々しい断崖図、その奥に壮大な瀧図。

千住博の代名詞ともいえそうな瀧の絵を生で観るのは初めてでした。

瀑布に囲まれているはずなのに、すべての音を吸い込むような気配も漂う不思議な空間。

10分足らずの紹介ビデオで、ご本人が「滝の合間の、この空間の奥に空海さんがいると思うんだ」と語ったように、深遠な空気に満ち満ちていました。

 

東山魁夷の白とも違う、加山又造の桜とも違う、千住博による高野山金剛峰寺の襖絵になった瀧図と瀧桜。

ブラックライトを使った「龍神」は白と青のインスタレーション。

日本画の今を観た気がしました。

 

 

爽やかな春が過ぎて暑さに慣れなかった頃、快心の一大事がありました。

昨年の「ITパスポート試験」合格に続き、今春受験した「情報セキュリティマネジメント試験」に

一発合格できて、ホッとしました。

短期決戦の中、純文系のせいにはできないものの、

なんども諦めかけた情報セキュリティ関連の受験にチャレンジしたのです。

情報セキュリティの勉強会ばかり参加してるのじゃなくて、

少しは身になっていることを試験に合格という形で証明したかったからです。

 

IPAのシラバスはこちら →「情報セキュリティマネジメント試験とは

 

 

その甲斐あってか、6月末に参加した

九州Prosec-IT情報交換会(九州ワイガヤ)セミナーも、

膝を打つこと多く、少しは勉強した甲斐があったなと思いました。

ここン十年ほど、さまざまな分野や業界のお仕事をいただいたことが

すべて無駄ではなく、少しずつでも自分の糧になっていたことがわかり、

先々の道しるべになりそうな気配があることも私にとって大切な気づきでした。

 

 

7月は歴史的ともいえそうなほど遅くて短かった梅雨も、

仕事している間に過ぎ去った印象です。

あまりに凄惨な放火事件や、高齢者ドライバーによる交通事故など、

目を覆いたくなることが噴出した時期でもありました。

いつ何時、自分の身にも同じようなことが起こるかわからないと思うと、

それなりに歳をとった者として何ができるのかといつも自問自答しています。

 

東京オリンピックのカウントダウンも始まりました。

個人的には、東北や熊本の復興の方にもっと力を入れて欲しいといまだに思っています。

 

 

そして8月。まだ半ばですが、もう半ば。

今年もあと4ヶ月となったわけです。早いですね。

 

先日、初盆のお参りをしたら懐かしい笑い声が追いかけてくるようでした。

人生はアッという間。と、年を経るごとに思い知らされます。

どうせ悔いが残るのだから、できるだけご迷惑かけないように

好きなように生きていきたいと思います。

 

FBページでは簡単なご挨拶をしていましたが、

 

本当に遅ればせながら令和時代もポケットプロをよろしくお願いします!

川上未映子氏の「小説を読むこと、書くこと」〜第5回林芙美子文学賞授賞式と記念講演〜

人気実力を兼ね備えた女流作家3人の話が地元で聞けるとなると一生に一度かもしれない。と思うと、予定をこじ開けてでも行かねばなるまいと思いました。

 

その気持ちを想像以上に楽しませてくれたのは、第5回林芙美子文学賞表彰式と記念講演。

 

林芙美子文学賞は、北九州ゆかりの作家・林芙美子にちなみ、北九州市が中・短編作品を対象として2014年創設しました。

第5回の今年は、応募総数392篇の中から阿部あみさんの「裏庭」が佳作に選ばれ、写真のような小冊子に掲載されていました。

最終選考は、表彰式に登壇された三氏によって行われたとのこと。 

 

同文学賞の選考委員である井上荒野氏、角田光代氏、川上未映子氏のお三方が北九州市立文学館館長の今川英子氏によるナビゲーションで講評した後、川上氏が記念講演に登壇しました。

 

そりゃぁ賑やかな表彰式でした。

第5回で初めて同文学賞の重みを知ったのですが、今回佳作を受賞した阿部あみさんも女性でした。

ひとまず井上、角田、川上の3氏が和やかに講評すると、なんとなく3氏の嗜好が作品と同じようにわかる気がしました。

 

三者三様とはこのこと。

小説家としての修行時代について語り始めると、まるで女子会のような座談会となりました。

 

井上光晴氏の娘でもあり知的常識人にも見える井上氏は一時期鬱になったと告白。

ふんわりした自然派の佇まいながらドキッとする固有名詞が飛び出す辛口な角田氏。

自由奔放な物言いで修行時代はなかったらしい川上氏。

 

それぞれが疑問に思ったことに対して都度都度口を挟むので、ナビ役の今川氏は時間さえ気にすればいい感じに。

会場もどんどん笑いに包まれ、まるで自宅の居間で世間話を聞いているようになり、もっと話を聞かせてよと思う人が多かったのではないでしょうか。

 

特に、小説などの文学を創作する意義や定義について語れば語るほど、ふだん(一般人が)表現しづらいことを言葉にしてコトを語る、その面白さや難しさを今回の講評に結びつけて、安易な言葉やプロットの選択へと流れないよう注文をつけていたようです。

 

読書についての考え方や接し方も個性が溢れていました。

「作家である父が書きなぐった原稿を清書することがお小遣い稼ぎでもあり修行時代だったかもしれない」と井上氏が静かに語れば、角田氏は「若い頃は大した読書をしてなくて、年上の名物編集者から本を読めといわれてもイジワルだと思ってたけど、やっぱり読書はたくさんした方がいいことが歳をとってわかった」と可愛く応じ、自由人らしき川上氏は「幼い頃から哲学書が好きで詩集の方に先に心が傾いたんだけど、変な子でしょ?」と会場の笑いを誘っていました。

 

記念講演を行った川上氏は、音楽家から詩人・小説家へと表現の場を広げた才気走った人ですが、快活でユニークな表現は何が源なのだろうと、もっと話を聞きたくなりました。

 

村上春樹氏が語る女性論について、桐野夏生氏と誌上で対談したことがある川上氏がひとくさり語るあたりも、文学好きではなくてももっと聞きたいと思ったに違いありません。

 

特に、世の中に数多ある著作物のうち、一つくらい女性だらけのものがあってもいいだろうと、川上氏が発案した2017年9月発行の「早稲田文学 女性号」巻頭言には、当の川上氏が登場しており、その文学論を絶賛した今川氏が一節を読み上げました。

こちらにも引用します。

 

いつもあまりに多くのことを見過ごして、そしてまちがってしまうわたしたちは、まだ何にも知らない。わたしたちは知りたい。わたしたちは書きたい。わたしたちは読みたい、目のまえにひろがっ ているこれらのすべてがいったいなんであるのかを、胸にこみあげてくるこれがなんであるのかを、 そしてそれらを書いたり読んだりするこれらが、いったいなんであるのかを、知りたい─ その欲望 と努力の別名が、文学だと思うのです。

「早稲田文学 女性号」2017年9月発行 巻頭言)

 

増刷されることは稀な文学誌で、この号は早々と増刷され、内外の評価も高いとのこと。

ざっと目次を見るだけでも、すごい顔ぶれです。

 

大のつく村上春樹ファンと公言する彼女の生活ぶりも面白く、きっと良き母なのだろうと想像しました。ご自分の出産体験を語った際、「いまだにクイックルワイパーを見るとイラッとするっ」と言い放ったときには会場中が吹き出したほど。

あけすけな表現のようでいながら下衆に陥らないセンスは天性なのでしょうか。

これからも、きっとバイタリティ溢れる言の葉をつむぎ続けるのでしょうね。あらゆることに目を凝らし心を澄ませて。

ただ、私は不勉強で川上氏の著作はまだ読んだことがありません。 

最近、娯楽として小説をあまり読んでないので、早く入手したいと思いました。

 

それにしても。人前で話すにあたり、盃を片手に話しているのかと思ったほどリラックスできるって羨ましい。脱線していく川上氏を軌道修正しようと困っていた今川館長もとてもチャーミングでした。

こんなに楽しい講演会は久しぶりで、あっという間でした。

来年も文学館による楽しい講演会が開催されることを大いに期待しています。

もちろん林芙美子文学賞にもよき作品が多く寄せられますように。

 

<第6回 林芙美子文学賞:応募要領予告>

選考委員:井上荒野 角田光代 川上未映子

応募締切予定:2019年9月13日(金)*当日消印有効

原稿枚数:70枚以上120枚以内(予定)

応募先:北九州市立文学館

受賞作:大賞;賞金100万円 佳作;賞金10万円

*募集の正式決定および詳しい応募要領は、2019年4月頃、北九州市立文学館のホームページ等で発表予定。上記情報は「第5回林芙美子文学賞」冊子巻末より引用。

2019年もよろしくお願いします!

遅まきながら、あけましておめでとうございます。

 

2019年、新元号となる本年もどうぞよろしくお願いします。

 

さて。

昨年の6月を最後にブログを更新していませんでしたw

それだけ公私多忙だったということで。。。

いやいや反省しています。

そこで、昨年後半の仕事以外をちょっとだけ振り返ります。

(仕事じゃないんかいってツッコミは聞かないことにしますw)

 

初夏にはW杯がありましたね!

熱狂しましたw 

「おっさんジャパン」と揶揄されながらも、

若手がおっさんを引っ張って「半端ねー」活躍でした♪

今じゃ若手が世界中で活躍してますね。

 

そして台風が九州を直撃した秋の始め。

私め「ITパスポート」という国家試験にトライし、合格しました。

直流・交流もよくわかってなかった純文系ですが、

ここ数年ほど通っていた情報セキュリティの勉強会に

「参加するだけじゃもったいないな」と思い立ったので受験した次第。

IT系の試験の中でも初歩の初歩、いろはのイくらいですが、

仕事の合間を縫って一発合格すると気持ちのよいものです^^

久しぶりに試験対策とか緊張とか思い出しました。

後日、改めて書こうかと思いますが、ここでは参考までに。

「ITパスポート試験」独立行政法人情報処理推進機構(IPA)

  

秋の終わりには北九州市立文学館の記念講演会がありました。

大河ドラマの脚本家中園ミホ氏をゲストに迎え、

館長今川英子氏と文筆家の興味深い話が繰り広げられました。

ほんの数週間前に放映終了した『西郷どん』ですが、

クライマックス目前に聞いたばかりの話を反芻しながら、

明治黎明期を駆け抜けた人々のドラマをこれまでにない視点で楽しめました。

身も心も焼け尽くして書いた人気脚本家が、

西郷どんを「心根の優しい、お餅のような人だったのではないか」、

曰く「時代に迎合できない何もかもを包み込んで逝ってしまったんだと思う」

と感慨深く語るのがとても印象的でしたよ。

 

感慨深いといえば、平成も終わるぞー大合唱の師走。

ご自身の誕生日でもあり最後の祝日となった

天皇陛下のお言葉に胸が詰まりました。

平成という戦争がなかった時代。

しかし、天変地異といえる大きな天災人災に遭いながらもがき続けた時代。

「とても要約できるものではない」と伝えられた言葉のそこかしこに、

時代に対峙して完璧に責任を全うされようと務められた

人間らしい天皇陛下の思いが詰まっていました。

何かと危ういこの国の行く末を案じ、

でも明るい未来も創ってほしいと心から希う姿に

深く深く感銘を覚えたことを正直に書いておきます。

 

さて、亥年の本年はどのような年になるのでしょうか。

ようやく若戸大橋も通行無料になったことだし(?)、

私は猪突猛進ではもうコケそうなので、

引き続きマイペースでチャレンジしていこうと思っています。

 

 

最後に。

元テニスプレイヤーの松岡修造氏がTV番組で披露していた

苦境の乗り越え方をメモがわりに記します。

 

あの超前向きな笑顔で「全員修造!」と檄を飛ばしていました。

 

苦しい時ほど笑う

(寝付けないときは笑顔で寝るなど)

 

イラっとしたら自分実況

(古舘伊知郎風で6秒以上続けたら怒りは収まる)

 

緊張するタイプの呼吸法はダースベイダー

(人前に出るとき、ゴーーーカァァァを繰り返す)

 

「体幹造」を意識

(壁に背中一面をつけてまっすぐ立ち、腹式呼吸すると正しい姿勢になる)

 

いかがですか?

歴史上の人物が残した形而上的ふわふわした言葉よりも

グッと身近でちょっと笑えて自分にもできそうですよね。

 

体力を過信せず、己の気分をうまく調整しながら生きていきたいものです。

改めまして、本年もどうぞよろしくお願いします!

 

古武術を介護の現場に〜岡田慎一郎さんの講座に参加〜

東筑軒 かしわめし
東筑軒のかしわ弁当がパワーに^^

一週間前、とうとう念願の講座を受けられました♪

古武術を介護の現場に取り入れた岡田慎一郎氏の講座です。

とある研究会に組み込まれている情報を目にして、

SNSを使っててよかった!と思いました。

 

10日ほど前、Facebookで見つけた「第10回多業種フットケア研究会 in 小倉」。

 

 

 

 

主催は一般社団法人日本トータルフットケアマネジメント協会、共催は小倉第一病院。

岡田氏を含めて3名の講座が開かれるとのこと。

 

岡田氏の話が直接聞けるだけではなく実践もあるという告知だったので、

イベント前日に申し込んで滑り込み参加。

旧知の方もいないし、協会のことも詳しく知らなかったけど、エイヤーでした。

 

というのも、10年以上前から、岡田氏の理論と実践に注目しながら

なかなか会えず、本やDVDを見るだけでした。

 

岡田氏の師匠である甲野善紀氏が提唱する古武術については、

TVなどで知ってる人もいるだろうけど、百聞は一見にしかず。

 

やはり目の前で驚異的な動作と裏付け理論を見せつけられ、

心から来てよかったと思いました。

 

 

<< シンプル介助術の実践 >>

 

たとえば、130kgはある太い男性を小柄な岡田氏が持ち上げる動作。

横も縦も大きなその男性は心配そうだったのに、

樽を蝉があっさり抱えたようでした。

 

かと思えば、車椅子から床へ滑り落ちた介護度が高い方を

軽々と抱え上げて座らせる。

 

私が患者役で見本になったので、

いかに力を加えず移動させられたのかがわかりました。

 

3秒かからず、床から椅子へ、ふわっと座っていた。

ご本人にとっては至極自然な動きなのでしょうが、ビックリポンです。

 

関取衆のような筋力の力に頼らず、

軽業師のような身のこなしで介助する。

私は介護の仕事をしているわけではないけれど、

このような技を習得できたら、いつでも使えるではないか。

 

この日行われた3講座の合間の休憩時間に、

介護のプロが現場で苦慮されている質問に対して

岡田氏が次々と答えて実践して見せ、

取り囲んでいた参加者は一様に驚嘆していました。

 

研究会に参加していたのは、ほとんどが介護、医療、フットケア業界のプロ。

私のような門外漢は皆無じゃなかったかな。

二人一組の実践で私と組んだ方はビックリされてましたので。

 

岡田氏が現在この日のメイン受講者に話して実例を見せたのは

自著『シンプル身体介助術』でも解説している基本。

 

1)背中と腕を連動させる抱え方

2)腰を低くする(骨盤の位置)

3)重度の方には一体化する

 

そこで、身体の土台である股関節の重要性も力説されていました。

現代は、インターネットというありがたい技術のおかげで、

自宅に居ながらにして岡田氏の理論と実践を見ることができます。

 

たとえば、下記のサイトで基本のさわりを知ることも可能です。

腰を痛めず介護できる? 古武術応用した技術「準備編」(朝日新聞デジタル)

 

ご本人も話していましたが、便利な世の中になりましたよね。

自宅に居ながらにして、このような技を学べるのですから。

 

自分の身体も傷めず、無理せず、

相手の身体状況を見極め、寄り添いながら近づきすぎず、介助する。

1時間半はあっという間で、もっともっと知りたい身につけたいと思った技術でした。

 

 

<< 筋トレなんか必要ない >>

 

これを後押しするように「筋トレなんか必要ない」と語る、

他の二人の講師のお話も面白かったですよ。

岡田氏が古武術を介して知り合ったそうです。

 

ラグビーの元日本代表だった平尾剛氏は、

脱筋トレ論を唱え、「数値化できない身体知」のカンとコツの重要性を指摘し、

「子どものうちに遊びまくるよう育てて」と力説していました。

 

本人は、「昔、私は本当に筋肉を作るためにプロテインをガバガバ飲んでました」と

語るほど、現在も盲信されている筋力崇拝者だった過去を告白し、

そこからいかに偏った考え方だったのかと、

これからは筋力に頼りすぎない考え方を紹介しました。

 

感覚的に身につけた岡田氏の理屈を、平尾氏が理路整然と体系化していく感じかな。

ほんの100年前、健康的に暮らしていた市井の人々を引き合いに出したように、

教育現場を通じて真に健康な日本人を取り戻していってほしいと思いました。

 

平尾氏は現在、ミシマ社のブログページ脱筋トレ宣言を書いています。

 

 

もう一人の講師は金メダリスト小平奈緒さんを支えた一人で、

古武術をスポーツに取り入れて研究している高橋佳三氏。

 

正しい足指の動きが正しい姿勢を支えるのだから、

常識を覆し(誤った姿勢に囚われている)日常生活を変えていこうではないかと。

岡田氏が身体の土台と語った股関節の重要性について、高橋氏も説いていました。

 

時間の制約がある中、高橋氏が最後に押し込んだ話が印象に残りました。

「集中を超える集中」を追い求める。

なんだか禅問答のようですが、

人間の身体機能を十二分に生かす動きや考え方について、

岡田・平尾・高橋の三氏が日頃から実践していることなのかなと思いました。

 

本筋ではないけど、岡田氏が四六時中、

身体機能について考えているエピソードを三人三様で紹介。

学生時代に体育の通信簿は2しか取れなかった岡田氏とは違い、

ずっと5を取っていた平尾・高橋両氏。

長じて知り合った岡田氏との飲み会の後、深夜の駅までダッシュしたとき、

スポーツマンの二人を観察しながら並走した岡田氏こそ、

ものすごい身体能力の持ち主だと誰が見てもガタイのいい二人は

思い出し笑いを堪えきれない様子でした。

 

退屈するはずのない半日は、本当にあっという間でした。

お昼に配布された弁当は懐かしい折尾駅の写真が載る、

東筑軒のかしわ飯の幕の内弁当。

こんなに食べられないなと思ったのに、美味しくてぺろっといただきました。

 

 

フットケアのプロたちによる研究会なので、別室では靴下や爪切りなどの道具がコンパクトに展示即売されていました。

 

そこで休憩時間に買ったニッパーを思いの外、重宝しています。

市場価格よりも2〜3割は安かったプロ仕様の爪切りは、変形しかかった爪も綺麗に切れ、高齢者の弱りかけた爪にも優しい。

 

 

 

改めて、この研究会を小倉の地で共催してくださった小倉第一病院に大変感謝しています。

もう10年も岡田氏の講座を年10回ほど開催していらっしゃるとのこと。

なぜ気がつかなかったのか、少し残念ですが、

きっと必要になった時期だからこそ研究会の情報が目に留まったのだろうと

いい方に捉えています。

 

そんなこんなで、育ち盛りならいざ知らず、

健康長寿を呪文のように唱える現代の中高年は、

自らの身体を諦めず甘やかさず労わることが必要なんだなと思った研究会でした。

 

第30回とばた菖蒲まつり2018

 

 

菖蒲が咲くころ、戸畑では太鼓が鳴り始める。

昨日、夜宮公園の菖蒲をバタバタと観に行きました。

もうくたびれかけた菖蒲に、まだまだといいたげな紫陽花との競演。

つかの間、涼を得られました。

梅雨明けは待ち遠しいけど、美しい共演はまだしばらく観ていたいですね。

君はもうミクスタで見たか?〜ミクニワールドスタジアム初観戦〜

ミクニワールドスタジアム北九州が完成して1年。

やっと行けました。

3月下旬、この通称ミクスタをホームとするギラヴァンツ北九州の試合に、4月下旬の先週末にはHSBCワールドラグビー女子セブンズシリーズ北九州大会の初日に。

 

小倉駅から新幹線側の海の方へ国際展示場を抜けて徒歩10分ほどで着きます。

北九州国際会議場に併設されたようにも見える場所です。

ギラヴァンツの以前のホームだった本城運動場よりも格段にアクセスが良くなりました。

本城も周囲に大きな建物などなくて気持ちよかったのですが、ミクスタは海をスタンドの背景にして特に晴れた日は溜め込んだ日頃のストレスもスコーンと抜ける感じがします。

 

それに臨場感。

声もかけやすく選手に触れそうなほど近いスタンド最前列からゴールラインなどまでは8mしかないそうです。

 

近すぎて物足りない向きもあるかもしれませんがw

ギラヴァンツも女子セブンズ日本代表もなかなか勝てないけれど、いつか勝利の美酒を味わいたい。

 

国際試合もたくさん開催されるといいですね。

やっぱり中継じゃなくて、生の試合を自分の目で見る方が面白いですから。

 

忘れちゃいけない大切なトイレは、TOTOのお膝元だけあって、使い勝手もよかったですよ。

次回は、他の施設もじっくり見て回りたいです。

 

まだまだ改善の余地はたくさんあるかもしれませんが、市民だけではなく世界中に愛されるスタジアムになれたらいいな。

萩尾望都SF原画展と甲子園で締めた2017年度

あの「スターレッド」が!
あの「スターレッド」が!

2018年も4分の1が終わりました。

新年度は、平成最後の年。

何かと気合が入りそう?

でも、その前に2018年冬の四半期をざっくり振り返っておきます。

 

この間の私的トピックは「萩尾望都SF原画展」と母校の選抜甲子園出場でした。

 

まず、この春、北九州市漫画ミュージアムで開催中の原画展は、一昨年の東京開催を皮切りにようやくここまで来てくれたのかというもの。

直前まで地元開催があるとは知らなかったので、本当に嬉しかった。

入り口前からドキドキワクワク♪
入り口前からドキドキワクワク♪

望都様は中学の頃から憧れのひと。

一度も原画を見たことがなかったので、どんな風に巨匠の仕事を振り返るのだろうと、年度末のバタつく忙しさの最中、初日に向かっちゃいました。

そんな気ぜわしさも疲れも何もかも吹っ飛ばし、期待をはるかに超える素晴らしさ。

 

企画展の入り口から、わざわざ「SF」と付けたほどの望都様仕様の異空間にどっぷり浸れました。

萩尾作品の決定的ファンになった「ウは宇宙船のウ」や「11人いる!」など、初期の作品も原画数ページで重要シーンを振り返る丁寧さ。

空間を圧倒する瑞々しいタッチなぞ私が語るのは憚られます。

 

画業50年になろうとする少女雑誌に収まりきれない魅力はいまだ各所に展開中。

望都様しか描けない儚げで迫力がある作品をまだまだ追いかけ続けたい。

 

読んだことのない作品も大人買いしなきゃと思わされました。

ツレがいたら記念撮影したかったw
ツレがいたら記念撮影したかったw

北九州市の原画展初日の午前中は、普段は漫画ミュージアムで見かけないような、私よりも年長の方々が予想以上に多く、まさに穴が開くような感じで画を見つめ、お一人様のグッズ購入の単価も通常の博物館などよりもきっと高いよね?

と思われる勢いでレジが鳴り、ちょっとビックリ。

 

かくいう私は「銀の三角」手ぬぐいを額縁に入れるまで笑点カレンダーの裏に貼ってよく見える場所に吊るしてます♪

望都様のパワーを少しでも吸収しながら新年度も駆け抜けたい。

 

そして、もう1回は行きたいと思っていたところ、朗報です!!

「3月17日開催された対談 萩尾望都×松本零士&萩尾望都トークショー」

ダイジェスト版を4月7日より会場内で常時上映♪

http://www.ktqmm.jp/manga_news/9349

 

北九州市漫画ミュージアムでの同原画展は5月20日まで

 

全国展開する原画展については、こちらをどうぞ。

 

アルプススタンドから開会式を初めて見守る
アルプススタンドから開会式を初めて見守る

さて、この春先のもう一つのトピック。

母校の甲子園出場は、昨年の夏の出場と同じようにテンヤワンヤでした。

もう二度と行けないかもというオッチャンオバチャン同級生が同窓会のように甲子園球場の1塁側アルプススタンドでお祭り騒ぎ。

当然?前泊したりプチ同窓会したり弾丸日帰りツアーしたり。

 

 

ところで、小倉駅から徒歩圏内にミクニワールドスタジアム北九州ができて一年ですね。

いつの日か、甲子園で得たようなワクワクドキドキを早く地元のスタジアムで味わいたいと思うのですが。。。

まだそこまで(の感動?)には至っていません。

ラグビーやサッカーなどスポーツ観戦が大好きな一市民の夢です。

 

こんなふうに相変わらず余所見の多い毎日ですが、

2018年度も仕事に趣味にマイペースでがんばります。

遅まきながら、どうぞよろしくお願いします。

風景画の巨匠はこだわり派?〜北九州市立美術館本館・祝リニューアルオープン ターナー展〜

北九州市立美術館のリニューアルオープンを飾る「ターナー 風景の詩」。

節分までの展示なので焦っていましたが、ようやく行けました。

 

明るくなった館内はオブジェも一新され、なんだか広々感じられます。

ちょっと寒さが緩んだ当日は、煙るような冬の風景が一望できてリフレッシュできました。

実はPM2.5が基準値を超えてたらしい。

 

展覧会はというと、大海原で嵐に翻弄される帆船や

緑濃い大自然の印象が強いターナーだけど、

本展示の半分を不透明水彩で大胆かつ細密に仕上げた画が占め、

改めてドラマティックなスケール感が素晴らしいと思いました。

今まで良さがわからなかったのはなぜだろうと思います。

 

ずいぶん前ですが、透明水彩の絵画教室に通っていたこともあり、

不透明水彩ならこんな風になるのかぁとも感じました。

 

ものすごく乱暴にいえば、涼やかな重ね塗りの妙に白の絵の具を使うか否か、

が不透明と透明の違いかもしれません。

ターナーは大自然の神々しい光と影を不透明水彩で写し取ったのかと。

 

油絵の具でたっぷり描いたとばかり思っていたので、

水彩でここまで濃厚に、また細々と描き込めるものなんだなぁと

新鮮に驚きました。

 

 

たとえば、「悪魔の橋」と呼ばれた伝説の峠を雄大に切り取りながら、

今にも真っ逆さまに落ちそうな恐怖心を、

緻密に描き込んだロバや岩肌で煽るアングルの妙。

当時は写真はもちろんドローンなんてなかったわけですから。

 

 旅先でスケッチブックに描き残したものが印象的であればあるほど、

そのとき感じた想いを筆に乗せて転写するならば水彩の方が

適していたのかなと、大画面を前に思いました。

 

美しいWクリアファイル
美しいWクリアファイル

それに、昨年立て続けに観た広重や北斎など天才浮世絵師を私は思い出しましたよ。

ちょうど上階で同時開催中の当館ベスト・コレクションで確認することになりましたが。

 

また、ターナーは広重や北斎たちのように、写真がまだない時代に作品がより広く知れ渡るよう、本の挿絵や紀行紹介としての版画に取り組んだ姿勢には、若くして認められた才能とは別の画商的執念を感じました。

 

版画コーナーの説明書きに、

あぁターナーって相当煩い御仁だったんだろうなぁと

当時の共同制作者たちの苦労も思いやったりしました。

妥協を許さない仕事ぶりだったようです。

そのおかげで、彼の名声は100年後も残っているわけですがね。

 

でも、私はどちらかというとセザンヌの水彩画の方が好きかな。

抜けるような空気感と光が色の宝石のようにキラキラした軽やかさがたまらなく、

ますますまた本物を観たいなぁと思いました。

 

<リニューアルオープン記念> 

英国最大の巨匠 ターナー 風景の詩 Turner and the Poetics of Landscape 

2018年2月4日まで。

 

鑑賞の余韻に浸り、四季を感じていた空間が一変?
鑑賞の余韻に浸り、四季を感じていた空間が一変?

ところで、美術館がリニューアルということで気になる方もいらっしゃるかも。

 

ちょっと意外だったのはオブジェの置き場所でした。

中階段から裏庭を眺めるスペース半分を潰してドーン。

裏庭にも茶色い箱が据えられて展覧会の余韻を楽しむ風景を遮っていました。

上階展示室へ向かう階段から向かい側にも何やらドーン。

カブトムシか●キブリかと思ったらコレクションである現代アートの展示でした。

ドキッとしましたが、この時期だけなのかとわかったらホッとするやら可笑しいやら。

 

「丘の上の双眼鏡」なんてキャッチフレーズの当館

「ザ・ベスト・コレクション」はモネやマチスなどの巨匠がズラリ。

これらの後期展示は春休み前の3月18日まで。

 

草間彌生のカボチャが病的に並んだ棚や、

こちらの神経がまいりそうでも評価が高いとされる現代アートは

なかなか味わえるものではないでしょう。

私に現代アートは猫に小判のようです。

 

その現代アート展示最後の個室ブースに入ったら、

NHKの地元スタッフがちょうど収録中でした。

不気味な昭和的気配が漂う展示室はその日の夜、

オンエアで紹介されていましたよ。

 

 

<リニューアル・オープン記念>

ザ・ベスト・コレクション -丘の上の双眼鏡

 2018年3月18日まで。

 

寒さ厳しい折ですが、ちょっと気分転換したいときにどうぞ♪

ドーン
ドーン

生きてるだけで丸儲け?〜新年のご挨拶に代えて〜

あっという間に松の内が過ぎました。

遅まきながら、あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

久しぶりのブログでいきなりですが、昨年暮れ、被災しました。

ご近所の火災で自宅が少々延焼して、まだ修繕工事は終わっていません。

 

自宅から火災を起こさないようにとか、

近年の大雨で怖い思いをしていたので避難するときはどうしようとか、

報道をみていろいろ考えながら一応の対策はしていましたが、

まさか自宅がご近所の火災に巻き込まれるとは思っていませんでした。

 

今日は阪神淡路大震災から丸23年。

亡くなられた方々や被災者の長年のご苦労や心労は計りしれません。

 

私は、昨年暮れまで、自分が一生に一度、

使うかどうかわからない緊急通報番号に連絡するなんて思ってもいませんでした。

いいえ、正確にいえば、何かを見て通報することはあるかもしれないけど、

当事者として通報することはあまり想像していませんでした。

 

だれの身にも、いつ、何が起きるかわからない。

 

これが、昨年暮れ、強烈に感じたことです。

 

そこで、新年の初回とはいえ、私が今回の火災から気づいたことを

書いておこうと思います。

 

 

<火災発見>

火災が発生したのは夜中でした。

日付変更線を越えて寝静まった頃。

 

変な物音に気づいて火災を発見し、通報したのは私でした。

通報しながら家族を叩き起こし、逃げました。

 

消火活動など間に合わないと、

素人でもわかるほどの真冬の大火事でした。

冬は空気が特に乾燥しているので

木造住宅などは火の回りが早いと知ってはいたものの、

炎の勢いや熱量、爆発音の凄さを嫌というほど体感しました。

 

 

<逃げるが勝ち>

そのような場合、とにかく逃げること。

もちろん通報も大切なのですが、命を守ることの方が先決です。

 

 

<逃げ道の確保>

高齢者や子供がいる家庭ならば、逃げ道の確保が重要です。

災害は昼間とは限りません。

 

玄関から逃げられない場合、他に逃げ道はすぐ作れるのか。

夜中にどんなに慌てても、足元を取られないようにしているか。

 

 

<非常時を考えた日頃の対策>

普段から家の鍵や自分の携帯電話・スマホをどこに置いておくか。

煙や炎に巻き込まれないよう、特に火災の場合、

濡れタオルやマスクの代わりになるものをすぐ手に取れるか。

 

 

<事故後の対応策>

幸い命に別条がなくても、精神的に参ってしまう人も多いと思います。

思ったように身動きが取れなくて怖かった気持ちだけが残ってしまったり、

特定の時間や場所で事故の残像がフラッシュバックしたりなど、

さまざまな形で事故の爪痕が残ることもあります。

 

私は臨床心理士ではありませんが、

もし家族が少しでも不安な気持ちを吐露することがあれば、

とにかく寄り添うことが一番だと思いました。

 

話を聞いて、怖かった気持ちを吐き出させ、

ひとりではないことに気づかせること。

一緒にご飯を食べたり、掃除や買い物をしたり、

テレビや音楽を見たり聴いたりして、

日常の細々とした生活を繰り返す、

時薬(ときぐすり)が一番の処方箋になるような気がしています。

もちろん、重症な場合はプロの手を借りる方がいいと思います。

 

 

物理的な補修は、保険屋さんなどプロと早急に連絡を取り合い、

できるだけ早く日常生活を復旧できるよう手配すること。

 

私の場合は、年末年始を挟んだため少し時間がかかりましたが、

友人に詳しい人がいたので比較的スムーズに手配できました。

 

ただ、消防関係の役所的書類の手続きはやはり面倒ですね。

自分は被災した側なのに、なぜ時間や労力を取らねばならないのかと思いましたが、

きっと私よりももっともっと酷い思いをしたのが震災の被災者なのですね。

心中を察するに余りあります。

 

また、さまざまな事故・事件を知るにつけ、

もし自分の身に起きたならばと考え、

行動する癖を身につけていきたいと思っています。

 

 

今回、延焼もごくごく少なく命拾いしたのは不幸中の幸いでした。

 

年が明け、何年ぶりだろというほど久しぶりに八坂神社へ初詣に行きました。

 

清々しい青空とおみくじに元気をもらえたことも報告します。

 

このラッキーを大切に、今年も元気に過ごしていきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いします。

ゴッホと北斎と花と絵てがみ〜2017秋の展覧会雑感〜

芸術の秋。

展覧会をハシゴしてきました。

 

まず、上野の展覧会をふたつ。

東京都立美術館の「ゴッホ展」と、

国立西洋美術館の「北斎とジャポニスム展〜HOKUSAIが西洋に与えた衝撃〜」。

 

どちらも見応えがある質と量。

 

11月の連休前、平日に行っても上野界隈は予想以上の人混みだったので、少々腰がつらくなっても観ておこうと勢いこみました。

 

でも、先に行ったゴッホ展の方に時間をかけすぎて失敗しましたw

 

北斎の方に好きな絵がたくさんあったのに足腰がきつくなったのと、お腹が減り始めてしまってwww

西美の北斎展は、超がつく有名画家たちが浮世絵から

インスピレーションをどれほど享受したのかがわかるように展示されていました。

 

たとえば、ドガの絵の印象は淡く優しいパステルですよね。

その踊り子たちの絵が、まさか北斎の浮世絵に影響を受けてたなんて

思いもしませんでした。

 

そんなふうに日本人が大好きとされる印象派のマネやモネ、

私が大好きなセザンヌの絵と、

彼らにインスピレーションを与えた浮世絵がきっちり並んで見比べられます。

 

ひと月前、広重の展覧会を地元で観たばかりなので、

「あれ?こないだ見たぞ」って絵ももちろん数枚ありました。

 

それに、最近の展覧会はTVでもガンガンコマーシャルしてますね。

芸術家を題材にしたドラマまで観たら、そりゃ背景の理解も進むってものです。

 

実は今回もう一つ、うれしいことがありました。

出色の展覧会グッズに出会えたこと。

 

ゴッホ展のB4がすっぽり入るトートバッグです。

有名な歪んだ部屋のベッドの絵が、ゴッホ特有の強烈な個性とは真逆の

やさしい一筆書きのようなイラストに生まれ変わって嫌味がありません。

 

ほんわかタッチのゆるめの水色だけど、しっかりしたキャンバス地で少々の荷物でも持ち歩けそう。

 

実際、今回の旅でしっかり活躍しましたし、重い画材の持ち歩き用にも考えられたのかと思います。

320×380mmなのでA4判の分厚い資料もしっかり入るし、肩掛けもOK。

 

このサイズの、オヂサンオバサンにもほどよくおしゃれな感じになるトートバッグって、なかなかないんですよね。

軽く折りたたんで麻紐でまとめる、小洒落感はプレゼントにもいい。

800円だったから、もういくつか買っておけばよかったといま少し後悔。

企画展HPの通販グッズコーナーにありませんでした。

 

音声ガイドはゴッホ展の常盤貴子よりも、西美の松重豊の方に軍配を上げたいな。

 

ところで。今回の旅の目標は上野ではありませんでした。

 

10月31日から11月4日まで銀座第7ビルギャラリーで開催された「西本輝峰 個展 花と絵てがみ展」。

 

西本さんは地元北九州で 活躍していらっしゃる専心池坊の家元講師です。

趣味で始めた絵てがみも受賞歴があり、「いっそ銀座で個展でも」となったそうです。

 

その場所は、今をときめく?「GINZA SIX」の1ブロック隣。

 

ショーウィンドウの一点は華やかななかに凛とした品があり、

傍の絵てがみのパッチワーク?がご本人のおしゃべりのように

賑やかさを添えて出迎えてくれました。

 

小柄な体のどこにそんなパワーがあるのか?と呆れるほどのエネルギーを

しっかり頂戴しましたよ。

しかも母親世代。パワーの源はなんなのだろうw

 

特に、三百本もの柳をグググっと束ねて空気ごと変容させるかのような、ダイナミックな作品はご本人のパワーを象徴しているに違いありません。

 

美術芸術は観る人の感じ方次第とは思いますが、私は大胆さと繊細さを兼ね備えた西本さんのお花が大好きです。

 

また、当日は生け花の心得を知る友人を連れていったのですが、正解でした。

 

同じ花でも九州と東京では色の鮮やかさが違うこと、ショーウィンドウのアノ花は愛らしくて可愛いけど生けるのが大変、お水の張り方や調整も大変などなど、同じ花の使い手ならではの気づきと面白さを教わりながら見ることができました。

 

一向に花の名前は覚えられないのですが、

美しさを追求するためには白鳥の水かきのように、密かな絶え間ない努力が必要なのだとつくづく思いました。

  

絵てがみにも、通常のハガキサイズに収まりきれないほどのバイタリティがやはり見てとれました。

 

やわらかい筆使いやビビッドな配色の絵を盛り上げるように、いつもの朗らかな楽しいおしゃべりが倍増になって聞こえてきそうでした。

 

個展用にポスター大手描いた作品もほとばしる熱量がすごかった。

総じて食べ物の作品が多いのは、さもあらんと思わせてご愛嬌です。

 

なにより、生けることと描くこと、二つの表現方法を通して、生きるエネルギーをひと様に与えられることは素晴らしいと思います。

 

しかも楽しい笑顔にさせるんですから。

 

技術的なことは分からずとも、そんな思いを抱かせるのだから、芸術家の一人には違いない。

 

西本輝峰さんは心から尊敬する数少ない先輩の一人です。

さて、次はどんな作品を見せていただけるのでしょうか。

とっても楽しみです。

「ひよっこ」と「やすらぎの郷」が描いた戦争

2017年度上半期、好評だった連ドラが相次いで終わりました。

NHKの朝ドラ「ひよっこ」と、テレ朝の昼ドラ「やすらぎの郷」。

 

戦後の昭和に青春を過ごした若者たちと、

方や同時代の芸能界に生きた人々の老後を描いたドラマでした。

 

私が、二つのドラマから強烈に感じたのは「反戦」。

それぞれの形で「戦争をしてはならない」と表現していたと思います。

 

「ひよっこ」では、主人公谷田部みね子の叔父・宗男が

いつも必要以上の笑顔で周囲に接する秘密を明かし、

インパール作戦に行っていたことを告白した回がありました。

後に白骨街道と呼ばれたほどの死体の山を築いてしまい、

歴史的な敗北を喫したインド北東部のインパール攻略で戦った、

数少ない生き残りの一人だったのです。

 

現地での凄惨な戦いの中、同年代の敵兵に1対1で遭遇したとき、

死を覚悟した宗男を前にして敵兵はにっこり微笑み、

何事もなかったかのように去っていったという。

あの戦士が忘れられない、あの笑顔に負けたくない、

俺は笑顔で生きていくんだと、いつもは笑顔の宗男が涙ぐんだ。

 

そんな宗男のような戦争体験をした人たちや

それを支えたすべての人たちが焼け野原の街や村を再興したんだと

ドラマは訴えていたようでした。

また、主人公が東京へ出稼ぎに行かざるを得なくなった原因は、 

父親が行方不明になったことでした。

一家の長である父親を探すために上京した母親が、

役人然とした警察官を前に「探してくれ」と切々と訴えた名シーンも、

戦争後の日本国中いたるところで繰り広げられた場面でなかったのかと思います。

あんな思いは金輪際イヤだという魂の訴え。

 

方や、昭和映画界とテレビ界の黄金期を支えた人々が

老後を安寧に過ごせるよう老人ホーム「やすらぎの郷」を創設した

加納英吉が死にゆくシーンで語られた秘話。

その元帝国海軍参謀は、晩年、戦死者の遺骨収集を世界各地で行っていました。

芸能界のドンと呼ばれ、隠然たる勢力を誇り恐れられていた人物が

人知れず費やした歳月の重みと戦争の悲惨さを思わずにはいられませんでした。

 

わたしの母は、1944(昭和19)年の八幡大空襲を経験しており、

いまだに戦争の話は怖がってドラマでさえも見ません。

小学校に上がる前の女の子が防空壕へ逃げ込む暇もなく、

父から畳一枚を立てかけられた側溝で爆撃をしのいだ、

そんなことが昨日のことのように思い出せるからです。

戦争体験者の心の傷が癒える日はないでしょう。

 

 

無論、どちらのドラマも面白可笑しいシーンが盛りだくさんで

毎回あっという間の15分でした。

だからこそ、なおのこと、戦争は脚本家が是が非でも盛り込みたいエピソード

だったのだろうと思います。

 

戦後70年を経てもなお不穏な空気が流れる昨今、

日本人はまたも愚かな過ちを犯してしまうつもりなのか?

と、ペンや映像で突きつけられた気がします。

 

 

おさらいがてら、もう少し感想を。

 

NHKが前作での汚名返上を賭けた「ひよっこ」。

視聴率が低調だの何だのといわれ続けた同作は、

名作と呼ばれ視聴率も高かった「あまちゃん」や「カーネーション」に

引けを取らなかったほど面白かったと思いました。

 

あの手この手で視聴者を引き込む小技が効いていました。

前年の大河ドラマ「真田丸」の名セリフ「各々方、抜かりなく」を

フツーの可愛い主人公に言わせたり、

個性豊かな登場人物がハッチャケたり絡んだり。

さすが「ちゅらさん」など名作を手がけた岡田惠和の脚本だなと。

あまりにキャラ設定が際立つので、スピンオフは

それぞれやってるとキリがないんじゃないか?

それなら「ちゅらさん」みたいにリターンズやってしまう方がいいんじゃないか?

と余計な御世話で思ってしまいます。

 

テレ朝の「やすらぎの郷」は、今季の目玉作品と前宣伝を派手にやってました。

だいたい前評判が高いとコケやすいのが相場ですが、

新しい黄金視聴者層(=シニア)を掘り起こし、

昼帯ドラマとしては上々の視聴率だったようです。

「これじゃ、『やすらげない郷』じゃないか」と揶揄されたほど

これでもかコレデモカと作中問題が勃発してましたしね。

 

そりゃぁ、何でもかんでもタイトルにステーションを付ける局が

万難を排して倉本聰御大を脚本に迎えたんですから、

相応に面白くなけりゃ豪華な俳優陣も参加した甲斐がない。

 

ほんとに豪華キャストでした。

おじいちゃんおばあちゃんがハートを鷲づかみにされて、

放映時間の5分間が被ってしまう「ひよっこ」が

視聴率的に苦戦したのも頷けました。

 

自分たちと同じように年取ってしまった往年のスターたちが、

生活費無料の老人ホームという設定上、お金の心配はしなくても

(おそらく比べようもないのに)行く末を案じ、

相続やら健康やら老いらくの恋に右往左往するんですから。

 

「ひよっこ」にスターとして登場した女優・川本世津子が、

ちょうど「やすらぎの郷」に入居する世代なんですから、

合体したら面白かろうに。なんてね。

 

倉本聰御大は遺言のつもりで書いたそうですが、

どちらも第2シーズンがあれば嬉しいな。

 

「やすらぎの郷」の放映中、無念にも亡くなられた野際陽子さん。どうぞ安らかにお眠りください。

2017年甲子園狂騒曲

8月8日(火)、甲子園へ行ってきました。

母校、福岡県立東筑高校が21年ぶりに県代表として出場したから。

16時間の弾丸ツアーでした。

 

アルプススタンドに入る前のワクワクドキドキ、

拳を振り上げながら歌う校歌、

まさかの土砂降りと中断、

ほろずっぱい敗戦。

ぐしょぐしょになった疲労感も心地いいミニ修学旅行になりました。

 

 

<狂騒曲の始まり>

 

7月の地区大会で優勝してから、どうする?どうする??

と、仲間内でそわそわしていました。

 

だって、21年ぶりですから。

いや、春夏通じて8回めの出場だけど、

私自身が現役当時に出場してからは40年近くになるのかw

だから、もう死ぬまで出場校としてアルプススタンドに行けることはないかも。

 

なので、抽選があった8月4日金曜日の夕方、

仕事を中断して抽選結果を見て小さく叫びました。

週明け、開会式がある初日の第2試合、クッソ暑い真昼間に開始!?

40年前の酷暑だったアルプスを思い出しました。

 

しかも、仕事をしている者にとって月曜日に休みを取るのは、キツイ。

マヂ〜?と半ば諦めかけてチケット予約サイトを探しながら、祈りました。

「台風で延期になればいいのに!!」

 

そうして日曜日の午後、延期の朗報が届き、ガッツポーズ。

 

実は結構な確率の雨女なのですが、今回ばかりは自分を褒めましたよw

 

<ふたたび蔦の絡まる甲子園へ>

 

誰が行くのか会えるのか、よく知らないまま新幹線へ。

待ち合わせの場所には、早起きも楽しんだ同期の顔が。

遠足前と同じように「3時に目が覚めた」なんて人も。

 

試合開始3時間前に現地到着すると、すでに出迎えが見えました。

母校のOB同窓会には本部以外の大きな部会として関東と関西がありますが、現地の関西東筑会が応援にくる人たちのためスタンバイしていました。

関西と関東どちらも今大会の応援用に、急遽別々にスクールカラーのエンジ色でTシャツを作ってたよう。

 

TV中継で見た現役応援部も緊張して待っていましたよ。

珍しい女子の応援団長は、想像以上に小さくて可愛い。

続々と到着するOBたちから声をかけられて、試合前から緊張が伝わってくるようでした。

 

応援部OBには事前にレジュメが配られ、

注意事項などお達しの中には応援の配置、

応援部OBの座る位置などが細かく書かれていました。

 

なんという組織力。

地区大会優勝から1週間立たず抽選があり、

しかも抽選の3日後には試合があるのだから、

現役応援部は準備がとても難しかったと思います。

 

しかし、そこは通算8回目の出場校としての蓄積でしょうか。

システマチックかつ迅速に何もかも手配されたようでした。

 

混雑する前にお土産を買っておこうと、甲子園入り口の土産物屋へ。

 お尻が痛くならないよう、折りたたみクッションなどさっさと買って、

目と鼻の先のケンタで一休み。

ここでお腹に入れたもので夕方まで持つとは、この時は知る由もなく。

 

試合開始の2時間前に再び入場口前に行くと、

すでに同窓会チケット交換を取り仕切っていました。

 

ざっと4〜500人くらいはいたんじゃないでしょうか。

あちこち久しぶりに交わす挨拶の声が徐々に広がり、お昼前には数千人?

同期はわかっただけで20人くらい。

 

同窓会が準備していた入場券は昼過ぎには無くなったという話。

3塁側アルプス席600円が400円ということは団体割引?

小耳に挟んだのは、3千枚用意していたらしい。。。すごっ

 

それがよくわかったのが、入場前。

1時開始予定なので、試合の進行具合を図って3塁側アルプススタンド入場口の14番入り口へ5列縦隊で並び始めました。

延々と、延々と続く列。。。老いも若きもとにかく並ぶ。

待ち合わせの高架下の涼しさとは打って変わり、蒸し風呂のような暑さ。

 

40年前と変わらず、鬱蒼と茂る蔦越しに聞こえた試合の歓声。

40年前と違うのは、ラジオで聞いていた試合をスマホで見れたこと。

 

すわっ延長戦になるのか? どっちでもいいから9回で決めてくれ!

 

なんて、サウナに足止め食らっているような苦しさを口々に耐え忍んで。

 

<2度目のアルプス>

 

狭い入場口から階段を少し上ると、そこはアルプススタンドでした。

すり鉢状の球場を見下ろし、通路前の広々と外野を見られる席を陣取り。

 

試合は抜きつ抜かれつの好ゲームの展開でした。

土砂降りになるまでは。

 

捕球を誤った外野選手に大声で応援する楽しさ。

昔はなかったけど、今は2回の表・裏に、プロの声と音楽を流してくれるので歌えるんですよね。

長い長い校歌を歌えた喜び。

 

が、甲子園初のホームランを見れたあたりから、雨が降り始め、

傘では凌げないほどの土砂降りになって試合中断。

 

一旦屋内へ避難したものの、薄っぺらい夏服は下着までびしょ濡れ。

なんとか止んでくれてアルプスに戻れば戻ったで、

強烈な日差しががががー

 

あー日焼け止め塗らなきゃ!

と思ったその時、一緒にきた同期OBが「僕にも貸して」。

これには爆笑しました。

 

使い切ってしまうつもりだったクリームを両隣の同期OGにも塗りたくって振り返ると、

くだんの彼は真っ白になってましたw

ひょっとこ??

おかめじゃなくてね、名誉のために撮影だけはしませんでしたw

 

そんなこんなしてるうちに試合は再開。

あれれれ?と言ってるうちに、ゲームをひっくり返され、

トイレに行ってるうちに、ホームランを打たれて点差が広がり、

アレヨアレヨというまに8回。

 

ようやく応援団OBが私たちアルプス側のはずれにやってきて、

応援の応援をしてくれました。

でも時すでに遅し。

 

泣ーくーなー石田あーーーー

 

敗戦投手となったけれども、力一杯戦ったではないか。

私たちも応援したぞ。

きっとここに来れなかった大勢の人たちも応援してくれたぞ。

貴重な経験になったなー

悔いのない青春なんて(あー甘酸っぱい)ないぞー

私たちにはいい思い出を作らせてくれました。

ありがとうを心込めて叫びましたよ。

 

試合中、1塁側アルプスには、対戦した愛媛・済美高校の応援団が

美しい紅白の隊列を組んで、賑々しいブラスバンド演奏で

大声援を送ってました。

 

対する我が校は、空席が見えないほどの人数でアルプスを埋めていましたが

現役ブラバンの演奏は聞こえなくて、大きな看板のような紙に書かれた

選手の名前を攻撃時に叫ぶのがやっとでした。

数千人にもなった人数なので、もうちょっとまとまって声援を飛ばしたかったけど、

それは次回のお楽しみなんでしょうか?

 

もう私たち同期の中には鬼籍に入ったものもいるのです。

絶対行きたかったに違いないものもいたのです。

親しいものと一緒に、きっと魂は飛んできたに違いない。

 

お盆のこの時期、高校野球を応援することには大きな意味があると思います。

 

<戦い終わって>

 

1時間半のスコール中断を入れて約3時間半。

半分乾いた薄っぺらい服のまま疲れて球場を後にし、家路を急ぐ同窓生とは再会を約して別れました。

 

帰りまで時間が少しある同期とは新大阪へ出て、軽い食事と共に敗戦と再会を噛みしめて新幹線へ。

 

 

直前には、職場や家族へ「ごめんなさい&ありがとう土産」を

皆そこそこ買い足して乗り込みました。

 

 

*今回の弾丸応援ツアーで学んだこと

・カッパ必須!(風が強いと傘はムリムリムリ)

・夏は下着だけじゃなくて上着も軽い着替え必須!(乾くけどね)

・リュックは防水で!(当たり前)

 

 

ちなみに、かち割りは約40年前120円でした。今回は200円。

アルプススタンドの売り子さんたちは可愛い子ばかりで、

きっと面接が厳しかったに違いないと話してましたw

 

東筑高校野球部のHPはこちら↓

http://tochiku.fku.ed.jp/one_html3/pub/default.aspx?c_id=67

 

青野監督はじめ、野球部の皆さん、本当にありがとうございました!!!

あーまた応援しに行きたいっ

NHK福岡版で紹介されました!〜「北九州・下関地域業界マップ」〜

この大型連休中に、制作に関わった冊子が

NHK福岡放送で紹介されていました!

 

福岡 NEWS WEB 福岡放送局 

「企業紹介マップ 大学生が作成」

(注:削除済み。下記参照) 

 

この『北九州・下関地域業界マップ』は、北九州市立大学3年の学生が自分たちのため、

地域のために制作した就職情報誌です。

 

私は冊子化する企画段階から参加し、編集者としてお手伝いしました。

学生の手作り感を損なわず、内容も軽くなく重くなく、適度な読みやすさを優先。

柳井雅人副学長発案のQRコードを入れることによって、紙媒体とはいえ、

企業の最新情報をゲットしやすくなっています。

 

また、同大学の「北九州・下関まなびとぴあ」HPにも、PDF版がアップされました。

*この組織は、平成27年度「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業(COC+)」に参画した産学官連携組織です。

 

『学生のための学生による 北九州・下関地域業界マップ 2017年版』

 

納品して数ヶ月が経ちますが、ちょっと感慨深いものがあります。

最初は、業界ごとのチームがまとめたwordやexcellの原稿を整理するところから始まりました。

 

学生にとっては個々の企業データを探すことよりも、

「業界別の特徴をいかにわかりやすくまとめるか」という俯瞰作業が、

難しかったようです。

 

私は、学生たちの努力や苦心が見えた業界ごとのデザインを

玄人のデザイナーがいじるよりも、そのまま活かすほうが

読者にとってもわかりやすく、かつ有意義に思えたので、

概要はほとんど学生案そのままを採用し、デザイナーに渡しました。

 

出来上がりはご覧のとおりです。

学業とともに頑張って制作した学生たちの今後の健闘も心から祈っています。

 

*webリンク先は削除される可能性も高いので、

 NHK福岡のHPに掲載された内容を魚拓しておきます。

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NHK福岡 NEWS WEB

「企業紹介マップ 大学生が作成」

2017年05月06日 18時59分

 

地元での就職につなげようと北九州市立大学の学生が北九州市など地元企業300社の情報を集めて制作したパンフレットが完成しました。

完成した「北九州・下関地域業界マップ」はA4サイズで32ページあり北九州市に事業所がある300社が業種や関連するグループなどに分けて掲載されています。

北九州市立大学の学生19人が企業のホームページなどを参考にしながら、ことしの2月までの半年間かけて完成させました。

企業ごとにQRコードを掲載してスマートフォンで各企業のホームページを手軽に閲覧できるようになっています。

作成に関わった北九州市立大学4年生の賀治万由子さん(21)は「これから就職する学生に活用してほしいです。地元に就職して地域の盛り上がりにつながればいいです」と話していました。

冊子は全部で3000冊作成し、北九州市立大学や北九州市役所で無料で配布しているということです。

 

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  <追記>(2017年5月12日現在)

5月11日付の朝日新聞朝刊p27(北九州版)でも紹介されました。

 「北九大生躍動 2冊子つくった『就活学生用の業界マップ』」

 

4月27日付の毎日新聞でも紹介されていたようです。こちらはHPで公開中

 地元就職率アップへ 北九大生作製 314社分を13業種で掲載

 

5月10日付の西日本新聞の記事もすでにHPにアップされていました。

 就活生向け“業界地図” 北九大生らが3000部作成 地場300社の情報を網羅

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リニューアルで2017年もよろしくお願いします

気づけばシン・ゴジラから半年も!ブログがストップしていました。

フェイスブックページは週一程度、更新していたのですが。

 

この間、北九州市小倉北区の城野駅前再開発事業に少し参画していました。

 

2016年晩秋には、北九州市立大学の新しい事業に参画して、学生たちの画期的なパンフレットの制作にも関わり、この冬無事に納品できました。仕事欄も更新したのでどうぞご覧ください。

 

そして、アレヨアレヨという間に新年度に入り、ゴールデンウィーク直前になりました。

 

今年の桜は入学式に合わせるようにパッと咲いてパッと散りましたね。自宅の紫陽花は、次は私よと言わんばかりにブワワワワァ〜と勢いよく育ち始めています。

 

紫陽花ほどではありませんが、ちょっとだけリニューアルして、相変わらずの脱力系ブログをボチボチ書いていきます。

お楽しみに。

 

 

『シン・ゴジラ』の引力

映画『シン・ゴジラ』公式サイト
映画『シン・ゴジラ』公式サイト

9月に入っても、快進撃が止まらない「シン・ゴジラ」。

”公開1か月で累計動員360万人、累計興行収入53億円を突破” らしい。

 

私はすでに2回、観ました。

いままでリバイバルで観に行った以外は、邦画でも洋画でも初めてです。

 

何がそんなにスゴイのか? は、他のサイトに任せ、

私が気になったことだけをメモ的に書き残しておきます。

(ネタバレします。ゴメンなさい^^)

 

(1)庵野総監督の凄腕・剛腕・辣腕っぷりがハンパない

 

これでもかってくらい緻密かつ大胆なカットをテンポよく積み重ね、

スピーディーに束ねてクライマックスへ突っ込む編集力。

 

実は、総監督自らiPhoneで撮り溜め、

他のプロカメラマンの映像とエイヤ〜でつなぎ合わせたそうです。

 

そんなことは知らずに見ましたが、

「これが新世紀のゴジラだ! 真打だ!!」と言わんばかりの迫力映像でした。

 

飽きる隙がまったくありませんでした。

 

というのも、

 

(2)速読・速聴の映画ですもん! 

 

すごいスピードで展開していくので、よそ見できない。

 

シーン展開も、役者のセリフも早い。

シーンが変わるごとにテロップがいちいち入る。

そのテロップが長すぎて、見切れる映画館もあるらしい。

おかしくて笑えません。

ひとクセあるキャストの面白さもネットを騒がせていますね。

 

そして、

 

(3)畳みかける映像の波に、押し寄せる音、音、音!

↑ここ、非常に大事。

 

音響の効果なくして映画の成功はない。

哀愁を帯びたメロディがゴジラの背びれを覆ったり、

宇宙大戦争のマーチがゴジラの上をカラフルに跳ねる。

 

クライマックスで、ほんまかいな!?という作戦を展開するとき、

高らかな金管楽器の音がスコーンと鳴り響いた爽快感。

 

この作戦がなぜかうまくいって、きっと無事にゴジラを倒せるんだという

明るい予感が、音楽とともに疾走するのです。

 

 

というような、こんな感想は世の中にごまんと転がっています。

 

でも、これらをすべて一度にしっかり味わう余裕はないのです。

細かい描写や小ネタは、2度見てもわからないほど。

 

どこに何が転がっているかわからないから、何度も見たくなるのだと思います。

 

 

しかし、本当にすごいのは、ゴジラ侵攻の映像を見て、

 

(4)2011年の3.11東日本大震災をオーバーラップさせたこと。

 

ゴジラが蒲田をのたくって突き進むと、

街も船もオモチャのように破壊されていく。

 

のっけから面白がって笑って観ていたけど、

あの映像が画面いっぱいに広がったとき、一瞬ひるみました。

 

キャッチコピー「現実(リアル)対虚構(ゴジラ)」に、気づかされたのです。

 

その後に展開される官邸の、あまりに鈍い危機対策シーン。

 

若きエリートたちの早いセリフの応酬に、

「なんとかできないのか」と、あのときと同じように拝むような気持ち。

 

ゴジラが何もかも押し潰して進んでいく姿に、

あの日を重ねた人は多かったと思います。

 

映画を見た政界人のインタビューを読めば、

どんなに綿密な取材をしていたかもわかります。

 

ゴジラの歯磨きか?と笑ってしまったアナログ作戦が、

実は核施設のリアルな作業風景の投影、

虚構にリアルを対決させたものだったとは。

 

ラストシーンで突っ立つしかなかったゴジラは、

これから日本はどうするのかという未来の課題を突きつけ、

だけど「きっと乗り越えていく」と鼓舞している。

ように見えました。

 

 

 

もちろん、キャストやゴジラの形態変化、筋立て、小道具などの

細部に施された面白さが、

いくらでも掘り起こせそうなのは大きな魅力に違いありません。

だから、何度でも見たくなるのです。

 

たとえば、上映が始まると同時にゴジラの足音がド〜ンと響き始め、

ワクワク感が湧き上がったそのとき、

「映倫」ド=ン!

 

思わず吹き出してしまいました。

 

 

私ごときが断言するのもおこがましいことですが、

第一級の娯楽大作に仕上がっていると思います。

 

そして、タイトルの「シン」に総監督が込めた思いが、

どこにあるのかに思いを馳せるのかが、

この映画の最大の見所ではないかと思います。

 

あなたは、どのシーンに心惹かれるでしょうか?

 

 

 

今年の夏は、いつにも増して、にぎやかだった。

と、夏の終わりに思います。

 

お盆にリオデジャネイロオリンピックの日本勢メダルラッシュと、SMAP解散発表が重なりました。

 

もちろん都知事選だのテロだのポケモンGOだの、これでもかといろいろありました。

 

そこに、シン・ゴジラがドドド〜ッと割って入りました。

 

モスラ〜やモスラ〜♪と歌ったザ・ピーナッツの妹さんも今春、鬼籍に入りました。

 

ゴジラ映画のどれを見たのかさえ覚えていない私でしたが、

昭和から平成へ日本の特撮を確実に進化させただろう映画を

観れてよかったと思っています。

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嬉し楽しやエキストラ初参加〜相棒劇場版Ⅳのロケ〜

エキストラ記念グッズとロケ弁当
エキストラ記念グッズとロケ弁当^^

人生初の映画エキストラをしました!

ミーハーな私にとっては一大事。

「楽しかった」のひとことに尽きます。

 

映画は、テレビ朝日の人気刑事番組「相棒 劇場版Ⅳ」。

 

主役の水谷豊やレギュラーメンバーが参加するようだったので、

清水の舞台から飛び降りる気で応募してみたんです。

 

数年前、門司港で高倉健さんがロケしたのに、

エキストラ募集を見逃したのが私にとってまさに痛恨のミスだったから。

 

相棒のドラマシリーズは、途中からファンになりました。

相棒1代目の薫さん役・寺脇康文が、

2代目の及川ミッチーにバトンタッチする数年前からかな。

最近は、秋から冬の寒いシーズンが待ち遠しく、必ず見ています。 

 

 

参加した6月半ばのロケ当日は、早朝から雨が降っていました。

前日のロケは、リハーサルだけやって撮影中止&延期になったと聞いていたので、

私たちもそうなるのかなと思いながら集合場所へ。

 

小倉駅前にあるコレット横の米町公園には、

いろんな世代の人たちが私と同じようにちょっと不安そうな顔で集まっていました。

 200人くらいだったかな。

 

小雨の中、集合時間を少し過ぎた頃、1時間後に再集合して撮影を開始することが決定。

おとなしく1時間待った8時過ぎ、怒涛の撮影が始まりました。

 

 

「銀座×××通り」や架空の町名の看板、ノボリが取り付けられて、

「みなさ〜ん、ここは銀座ですよー」w

 

 

テキパキ配置を決められてスタンバイしてたところに、役者陣が到着。

前方でザワついたので、コレット横で待っていた私たちグループは

四つ角を見て歓声をあげました。

 

私たちグループとは、その日たまたま隣り合わせた女性たち4人のことで、

縁もゆかりもない世代もバラバラな人たち。

 

 右京さんがいるよ! どこどこ??

 ほら、ここからまっすぐ100Mくらいのとこ!

 きゃー あの立ち姿はテレビのまんまね!!

 

なんて会話がそこかしこで繰り広げられました。

 

3シーンほどをパターンを変えて撮影。

私は主要メンバーたちと数十センチの至近距離を何度も歩いたので、

映る映らないよりもどんな撮られ方をしてるのかなと、そっちが気になりましたw

 

 

役者さんの感想を少しメモ。

 

右京さん=水谷豊の目力はやっぱり凄い。

小柄ですから、他の役者さんより一回り小さいのが仇になりそうなのに、

遠目でもそうならないのは独特の緊張感や存在感ゆえですかね。

 

4代目相棒の冠城亘=反町隆史は、後ろ姿にもフェロモンがにじみ出てました。

カメラクルーの出っ張ったお腹をツンツンつつく、

お茶目な姿も目の前で目撃できて、一緒に行動してた女子と笑いあいました。

 

レギュラーの伊丹刑事役、川原和久はテレビ画面よりも細くてビックリ。

例のとおり目つきは悪いけど鼻が高くて顔小さい。

で、立ち姿も「そうそう、あの立ち方よね」。

地元黒崎出身というのを知る人は少ないようで寂しいですが、

イタミンの愛称で全国的に親しまれてるようだからヨシとしましょうよね。

 

芹沢刑事役の山中崇史も来てました。テレビより男前。

イタミンとのコンビだから当たり前ですが、

二人だけの突入シーンもコレット裏で撮っていたので、

映画の中でもきっと走り回ってるんでしょうね。

 

ここではネタバレになるから詳しく書けないのですが、

この主要登場人物たちがコレット裏の四つ角で、

あーだこーだ犯人像を話し合い、右京さんが叫ぶ撮影シーンがありました。

 

リハーサル1回目のとき、右京さんたちを背中に私たち群衆が歩いて通り過ぎていく中、

右京さんが突然発した叫び声に、群衆が皆一斉に振り向いたのには笑いました。

 

ほら、いつもドラマの緊迫したシーンで、右京さんがピンときて叫ぶシーン。

あの声が聞こえたら、予期してなかったら、振り向きますよね!?

 

私たちは皆笑いながら、元の位置に戻りました。

 

 

そんなこんなの撮影は午前中だけだったとはいえ、

数時間もあっちこっち動きまわり、座って休憩するような時間がなかったのは、

私より随分年上の方にはやっぱりしんどかったんじゃないかと思います。

今にも降り出しそうな天候を睨みながら、エキストラもさっさと動かねばならないし。

だから、体力のあるうちに、また参加したいです^^

 

 

ところで。

 

今回のロケは数日間にわたり、年代ごとに募集人数も違っていました。

私の世代は募集が少なかったのですが、月曜日ならば応募する人も少ないだろうし、

仕事も1日くらいならなんとかなるかなと応募しました(お得意様スミマセンw)。

 

当選して一番びっくりしたのは本人です。

雨で撮影延期だけは避けて欲しいと、このときばかりは本気で神頼みしました。

 

 

映画やドラマの撮影誘致に頑張っている北九州フィルムコミッション。

HP上で募集をかけると同時に、フェイスブックなどSNSでも告知します。

https://www.kitakyu-fc.com/

https://www.facebook.com/kitakyushufc/

 

今年はあと1回、相棒ロケのチャンスが巡ってきますよ。

日曜日に小文字通りを封鎖して行う予定だったのが、

1回延期になって2回目は仕切り直しになったからです。

相棒ファンの方は見逃さないように^^

 

 

私は久しぶりの早起きで目一杯楽しんで疲れました!

来春の映画公開が楽しみです♪

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藍島ジオツアー番外編

先日、小倉沖の藍島(あいのしま)へ初めて行きました。

小学生くらいの頃(ン十年前)に行ったかもしれませんが、忘れましたw

藍島の手前の馬島には海水浴に行ってたことを覚えてるんですが。

 

一人ではなく、いのちのたび博物館のジオツアーという、

自然史と歴史をごっちゃに学ぶ遠足に抽選で当たったので参加したのです。

 

そのツアーの始めのこと。

 

初めて乗り込んだ小倉港から藍島へ行くフェリーで、おかしな人に会いました。

 

 

もじゃもじゃの金髪で両耳に銀のピアスをした同年代らしき中年男性が、おじいちゃんと釣りやら島の話をしていたんです。

 

フェリーといっても小型だし、2階建ての上の甲板は30人も乗ったらギューギューw 

35分の航海のうち、半分のところで馬島に着いたら釣り客を降ろして、すぐ藍島へ向かう行程。

 

馬島で釣り客が10人ほどドドドッと降りたので、立っていた私は運よく座れました。

 

3人座れるベンチに、おじいちゃんを挟んで向こうに座ってた、その金髪のにいちゃんは満面の笑みでいろいろ話しかけてくれてたんです。

 

変な人じゃなさそうだし、一人で来てたようなので、

まぁいいかぁと楽しく話してるうちに島へ着きました。

 

「じゃ、いい一日を!!」とかなんとか、外国人みたいな

「Have a good day!」のノリで手を振られ、別れました。

 

 

私たちツアーの一行は、スタッフ含めて30人程度。

そのうち小学生が10人くらいのファミリー層がメイン。

10人くらいはスタッフなどおじさんばかり。

だから、端から見たらおもしろい団体だったんじゃないのかなw

 

その一行が持参したお弁当を食べた後、

潮が引いて遺跡が観れる浅瀬へ渡れるまでの30分間ほど、化石ならぬメノウが採れるって話を聞いて、

みんなが砂浜を舐めるように見ていた、そのとき!

 

ふと顔を上げたら、例の金髪のにいちゃん(おいちゃん?)が、釣竿を一本左手にヒョイと掲げたまま、

ヒョイヒョイヒョイって長い砂浜をこちらへ走ってやってくるではありませんか。

 

ヤツだ!? 

と思った私は、ちょっと帽子を目深にかぶって知らんふりしました。(なぜだw)

 

私たちの前を軽快に通り過ぎて、

潮が引くのを待っているその海岸線の向こうへ走って行ったと思ったら、

またすぐ戻ってきて、今度は少し年上の還暦過ぎくらいのおじさんと

一緒にニコニコしながら歩いて行きました。

 

 

フェリーで話していたとき、

あれやこれや装備しなくても、

「釣りなんか、格好つけなくてもできるし楽しいもんですよねー」と

手振り身振りで笑い飛ばしていたとおり、

にいちゃんは軽装で、ただのTシャツとジーパン。

 

めっちゃ楽しそうに浅瀬を歩く二人が、

釣りバカ日誌に見えました。

 

熱射病になりそうなほどお天気よかったし、

浅瀬で気の早い海水浴してる人たちを目の前に、

一行は砂浜をメノウ探しで汗流しながら練り歩いてるし、

にいちゃんたちはすごい笑顔で釣りに行ってたし、

幸せってこういうことをいうのかなって。

 

私は宝石に縁がないようで全然見つからなかったし、

そもそも全然興味がありませんでしたから、ただの休憩時間でしたが、

そのときばかりは一人で笑ってたので、

そんな私に気づいた人は本当に変な人と思ったにちがいないw

 

 

 

<おまけ>

メノウ探しの前、午前中の話。

 

大昔の密貿易船が近づいたときに、

小倉へ狼煙(のろし)ならぬ大旗を掲げたとされる遺跡に行きました。

 

その遺跡の後ろ側に、

めっちゃ珍しいチョウチョが飛んできたらしく、

それを見つけたガイドが「オォッ」て叫んだら、

カメラ持ってたおじさんたちが一斉にそっちへ移動w

 

もうね、チョウチョがいいモデルでポージングしてくれてたのか、

遺跡そっちのけでシャッター切ってるんですよwww

私は腹を抱えて笑いました。

 

 

化石や恐竜に詳しい小学生相手にプロの学芸員さんたちが舌を巻いて説明したり、

可愛いリアクションに大笑いしたり。

 

いつもは書類や組織相手に難しい顔してる(と思われる)大人たちも、

とってもとってもいい笑顔でした。

 

熊本のように地震や災害を被ったりしますが、自然は偉大だとつくづく思います。

海や山、いや、自然って本当にありがたいですね。

 

ココだけの話はもちろん、あの日の太陽のような、

みんなの笑顔が心に残ったツアーでした^^

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レモンの思い出

早春とはいえない3月末日。

 

檸檬を見つけました。門司は柳町。

 

突然、民家の軒先に黄色い塊。え?

 

ミカンじゃないなと目を凝らせば、

やはり葉っぱはそのものだし、間違いない。

 

思わず写真に収めた。

 

 

 

「檸檬」ではなく、「レモン」で思い出すのが、中学時代に初めて英語を習った先生。

 

 

いまや懐かしいカセットテープをガシャガシャ押しながら、ホライズン(!)の単語を読み上げた。

 

ディス イズ ア ペン! 

 

ですよ。懐かしい。

 

 

あるとき、先生が「これは発音が難しいから、“オ”、じゃなくて、”ア”、みたいに口を開けて発音するんですよ」と宣った。

 

テープをガシャッ

(女性の声)”lemon”

テープをガシャッ 

 

すかさず、先生「リピート アフター ミー “レマン”!」

 

 

英語は嫌いじゃないけど、いまだにうまく話せません。

 

「檸檬」と打てば、「梶井基次郎」が検索トップに表示される21世紀。

 

「レモン」と聞けば、グリグリまなこの「坂田先生」を思い出す。

 

当時まだ珍しかった茶髪でロングブーツを履きこなしていた国語の吉田照子先生と仲良しだった。

 

職員室で二人がよくおしゃべりしていたのを覚えている。

 

先生方、お元気ですか? 

 

レモンで思い出す、奇特な元生徒もいますよ。

 

 

福岡の桜が全国一の早さで満開になった年度末。

世の中の働き者の締めくくり。

 

お疲れ様でした。

  

さぁ、明日から新年度。がんばりましょう。

 

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化石で旅する不思議の世界

※参加している北九州ライターズネットワークのFBページに掲載したものを再録

 

花粉も化石になっていることを知っていますか?

ビックリポンです。

 

この時期、花粉症に悩まされてるひとは想像もしたくないかもしれませんね。

 

そもそも、化石って何? というと、生物の遺骸ですかね。

アンモナイトやティラノサウルスくらいしか思いつきませんが。

 

実は、アンモナイトの化石があれば、その地層が中生代、

およそ3億5,000万年前後とわかるように

「どんな花粉の化石か?」がわかれば、時代がわかるそうです。

 

たとえば、ヒトが生活していた時代とわかるのは、「マツ」の花粉の化石だそうです。

梅でも竹でもなくて、松。

 

100倍、400倍の顕微鏡をのぞいて、「ミッキーマウス」があれば、マツです。

数十年ぶりに顕微鏡をのぞいて探したけど、私はミッキーマウスを見つけられませんでした。

 

二つの耳型の代わりに、もっこり重なったような一つ山があり、

先生に尋ねると「モミです」。

 

あのクリスマスシーズンに重宝がられる木・・・?

モミもマツの仲間なので、ヒトが生活していた時代の地層だとわかるそうです。

ほぅぅぅ。

 

ちなみに、星の砂と呼ばれる砂も、実は化石です。

小さな小さな虫の殻の化石。

とがった星の形や、ふわっと丸い形などいろいろな形があります。

星の砂も、どこの海岸にもあるわけではないので、海岸の成り立ちがわかる材料になるそうです。

 

ところで、若松と門司では海岸の砂の色が違うことを知っていましたか?

形も微妙に違うような。

知れば知るほど面白くて謎が深まります。

 

だから何だ?という話ですが。

 

私たちが住む町は何の変哲もないようでいて、実は人の手の及ばない未知の世界にあふれています。

 

ン十年ぶりに顕微鏡をのぞいたのは、いのちのたび博物館の室内講座

「小さな化石にふれてみよう!!」でのこと。

 

昨秋のジオツアーで味を占めたフィールドワーク(ってほどじゃないかもしれないけど)。 

 

次は、春のジオツアーや昨夏に抽選で外れたナイトミュージアムに再チャレンジする予定です^^

 

2016年チョコ狂想曲は?

ピエール・マルコリーニ
今年のテーマ「よつ葉のクローバーが幸運と幸せを運ぶバレンタイン」ピエール・マルコリーニ作。本文中リンク先より

もう買いましたか?

 

成人式のあとの冬の一大イベント、バレンタイン。 

 

毎週火曜日放映の「マツコの知らない世界」でも、

懐かしい楠田絵里子氏がチョコレートを暑苦しく語って笑えたほど。

 

いつものようにネットでも大騒ぎしていますね。

定番のお祭り。

 たとえば、「売り切れ必至!“2016年限定”のおすすめバレンタインチョコ26選」。

 

行けるものなら東京でも行って、自分のために買いたい食べたい。

 

でも、つい最近、小耳に挟んだのが「学校へチョコへ持ってくるな」のチョコ禁止令。

  

私が聞いたのは、市街地の小学校のことでしたが、NEVERまとめも出てて、ちょこっとビックリしました。

いま増えてる…?バレンタイン禁止になった学校

 

そんなオオゴトになってたのか・・・

 

井戸端会議?で、そのママさんは「娘と毎年チョコチョコと

自宅で一緒に作るのをいつも楽しんでいるんですが♪」と笑っていました。

 

学校で渡すのが禁止なら、公園とか学校の外で渡せばいいって話になるのかな?

そっちの方が呼び出すのだからドキドキするだろうなと思ったら、

親同伴になるとかならないとか、他人事ながら大変ですね。

 

 

ところで、少し前の話です。

 

少しの間、籍を置いていた企業の同じフロアで違う部署のお局様が

突然やってきて宣いました。

 

「バレンタインの義理チョコ用の資金500円、どうしますか?」

 

たしか500円、ワンコイン。

正社員じゃなかった私と、同じような立場の隣の子たちの目が点になっていると、

「強制じゃないのよ、強制じゃ。どうする?」と箱を目の前に突き出されました。

 

豚の貯金箱なら入れたかもしれませんが(ナイナイ)、丁重に断りました。

その企業の風習だったのかもしれませんが、私たちはなぜか反発してしまいました。

 

なぜ、そんなことを覚えているのかというと、

その儀式のような1日が終わる頃、一人の男性が私たちのところに

チョコありがとうとニッコリ笑顔付きでお礼をさらっと言ってくれたから。

 

ものすっごく恥ずかしい気がしたのを覚えています。

 

500円が惜しかったわけじゃなくて、威圧感が嫌だったのよ。マジで。

すわっ格差社会の問題点がここに!? などという大げさな話ではないのです。

渡したくなかったんじゃない。

チョコくらい自分の気持ちに沿って渡したいわ。

でも、社内の風通しをよくするためなら商魂に膝を折った方がいいのか。

 

そんな女子や元女子の正直な気持ちが商魂と激突するシーズンなんですよね。

 

かたや、もらう方の気持ちともなると・・・

 

無邪気にドキドキを楽しんでいた頃が懐かしいママたちも多いんだろうな。

 

などと、国生さゆりの後ろデコから抜けるような「バレンタインデー キ〜ッス♪」

って声を思い出しながらカレンダーを見て吹き出しました。

 

2016年の2月14日は日曜日じゃないですか。

 

喜んでるひと、多いかな。

 

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リニューアルしました!

ホームページをリニューアルしました。

旧サイトを急に閉じるわけにもいかないので、そのままにしていますが。

どうぞご覧ください。

また、お気づきの点があれば、ぜひご連絡ください。

 

 

ところで。

琴奨菊が初優勝しました。

万歳! あっぱれ! お父さんお母さん、おめでとうございます!!

そして、柳川に雪が降り積もりました。

奄美大島にも115年ぶりの雪が降りました。

どこが暖冬だ? と、九州の住民代表でいいたい。

忘れられない冬になりました。

 

とにもかくにも、どうぞこれまでと変わらず、いえ、倍旧のお引き立てを賜りますようお願い申し上げます!